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日本一の酒処・灘五郷を支える酒米

神戸市東部から西宮市にかけての湾岸沿いに、日本酒の蔵元が数多く点在する「灘五郷」。清酒のシェア3割を占める、全国有数の酒処として知られています。その歴史は古く、14世紀の室町時代から酒造りが盛んになったといわれています。灘五郷が発展を遂げた理由には、酒造りに最適な「宮水」、伝統の技を受け継ぐ丹波や但馬地域出身の「杜氏」などさまざまな要因がありますが、とりわけ酒米品種『山田錦』の存在なくしては、語り得ないものといえます。

酒米の王様『山田錦』とは

昼晩の大きな寒暖の差と粘土質の土壌をもち、豊かな清流に恵まれた兵庫県・北播磨地域。この北播磨地域で、酒米品種の最高峰である『山田錦』は育てられています。誰もが知っている酒造メーカーの名前が記された旗が、視界いっぱいに広がる緑美しい稲穂の間をはためく様子は、この地域での名物的風景となっています。これは「村米制度」すなわち播州地域の酒米産地と特定の蔵元で始まった酒米取引制度(契約栽培)を表するもので、三木市吉川町を中心にいまなお続く産地と蔵元との強い繋がりの象徴でもあります。

誕生と特徴

『山田錦』は、兵庫県立農事試験場で父親品種「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」と母親品種「山田穂(やまだぼ)」との交配により、1936年(昭和11年)に誕生しました。山田錦の全国生産量のうち約8割を、兵庫県内で生産しています。粒が大きく、「心白(しんぱく)」と呼ばれるお米のまんなか部分が明瞭であるため、日本酒の醸造に欠かせない麹造りが容易にできるという特長があり、数ある酒米の最高峰の一つといわれています。しかし、食用米キヌヒカリの丈が1m程度であるのに比べ、山田錦は1m30cm長いため、倒れやすく害虫に弱いので、栽培農家にはノウハウを蓄積した高い技術が求められる難しい品種でもあります。

山田錦のブランド力強化

酒米好適種として高い評価を得ている『山田錦』ですが、産地ではさらなるブランド力強化への取り組みが始まっています。2006年(平成16年)春、山田錦の情報発信拠点として、田園風景の広がる美嚢郡(現:三木市)吉川町に『山田錦の館』がオープン。山田錦の歴史や風土が学べ、そして地域の新鮮野菜や特産品の販売、レストランも備えた和みの施設として人気を集めています。また、最近では山田錦の米粉を使用したパンやスイーツなど、関連商品も注目されています。山田錦の用途が広がるにつれ、より大粒で均一な安定供給に向けた規格変更も含め、地元では積極的な品質向上を図っています。

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